O
U
T
o
f
I
L
O
L
U

▼江戸吉原サイドメニュー
1.吉原以前 2.吉原誕生 3.吉原細見 4.大尽遊戯 5.花魁道中 6.手練手管 7.苦界十年 8.吉原刑罰
9.鳥屋楊梅 10.妓楼周辺 11.娼妓置屋 12.揚屋私娼 13.吉原消沈 14.吉原用語 15.参考文献

Contents

HOME
Readme
Diary
Fu-zoku
Yoshiwara
Sex Lage
STD
TEXT
Collection
Material
Pet Room
LINK
MAIL
1.吉原以前 … 江戸以前の売春事情

古代
売春婦の歴史は古い。
とはいえ当初は金銭で春を売ったりはせず、宗教的な行為として行われていた。
古代、神に仕える巫女は、神がかりができて神の代言者であると信じられていた。
その一方、男たちは巫女とセックスすることによって神と交流できると考えられていたため、巫女は決して不浄なものではなく、むしろ神聖な存在と思われていたのである。
その結果生まれた子供はみんなで共有して大切に育てられた。
例えば桃太郎やかぐや姫などの昔話の主人公というものは、年老いた両親が神様に願をかけて生まれた子供であったり、拾われてきた子供であったりする。
昔は、跡継ぎがいないということは、老体になって働けなくなれば、土地を取り上げられることを意味していた。
だから跡取りがいないというのは、今以上に切羽詰まった悩みなのだ。そこで、解決策として、神社の神主の子種を頂いたり、巫女さんに子供を生んでもらったりする。
巫女さんといえば、いわゆる売春婦の先駆け。
どこの誰ともわからぬ子供を生むこともあったが、その子供は神の子とされ、こういった老夫婦の手に渡されたのである。

奈良時代〜遊行女婦(うかれめ)
奈良時代に入ると宗教的な意義が薄れ、売春が職業化していく。
これが遊行女婦である。
遊行女婦は売春を行う巫女が各地を廻ったことからこの名がついたという。
そこはやはり巫女であるから、売春とともに祭祀も行っていた。
その上歌を詠んだり恋を語ったり、あるいはなびかぬ男に皮肉を言ったりする教養もあった。

平安時代
主婦売春 平安京(京都)には十万から十二万人もの人々が住んでいた。そこでは市が開かれ様々なものが売られていた。
もちろん性も、である。
人妻たちが男たちに性を売り、その代価として布や食料品などを受け取ったのである。
「市」という場所には心身の汚れを清める作用があると信じられていた。
そのため、市では人妻に宿っている夫の魂は清められ、人妻も独身女と変わらなくなる。
だから夫ある身でありながら、何の罪悪感もなく、男たちと性を楽しんだのである。
男娼 当初の僧はきびしい戒律にしばられていて、女とセックスすることは女犯(にょぼん)として厳禁されていた。
すると、女っけのないところでは自然と男色が多くなる。
延暦二十三(八○四)年、空海を筆頭とする僧侶たちは遣唐使船に乗り込んで唐渡った。
そのころ首都の長安では男色が流行しており、男娼までがいたという。
二年後に帰ってきたとき、この僧侶たちが日本に広めたといわれている。
遊女 中世になると遊女が登場する。
遊女といっても江戸時代のように廓内に閉じ込められたかごの鳥というわけではない。
歌や舞などの芸を身につけていて、それを披露しながら性を売る女たちである。
遊女たちは髪を長く垂らし、貴婦人用の礼服を着て貴族たちの遊宴などに勝手に押しかけた。
集団でやってくる場合もあり、そこでは歌をうたって報酬をもらったり、気が向けば売春もした。
このように遊女たちはかなり自由に振るまっていた。
当時の習慣として、歌が素晴しいとか、美女で気に入ったというときには、貴族は着物を脱いで与え、それを報酬とした。
平安中期には、白昼ふらふらと出歩くものを「遊女」、夜になってから売春するものを「夜発(やほち)」といった。当初は区別していたが、やがて遊女も夜発も売春婦として混同されていく。
遊廓が公許されたのは室町時代のことだが、このころには享楽主義が広まり、各地にすでに娼家の集まる遊里ができていた。
白拍子 白拍子(しらびょうし)とは舞などをしながら性を売る女性。
○○御前、姫などとも呼ばれた。
手児名
(てこな)
婢女(はしため)を兼ねた労働婦。
不特定多数の相手と接していた。

室町時代
この時代の売春婦たちも主に遊行女婦と呼ばれ、芸を見せながら性を売っていた。
性の商品化は売春のほかに「見世物」としても流行した。
「それつけやれつけ」といって、男と女が観衆の前でセックスをやってみせたり、犬と人間の女との獣姦を見世物とし、金品を稼いだりした。
そういった性の見世物のひとつに「歌舞伎踊り」がある。
出雲の巫女であった阿国(おくに)が女だけの一座をつくり、宝塚のように男装して踊ったのである。阿国は遊行女婦でもあったので、踊りを見せるとともに、気に入る男がいれば売春も行っていた。
一説によれば、織田信長や豊臣秀吉などの寵愛を受けたという。
こうして女が演じる歌舞伎が大流行したが、江戸時代に入ると風紀が乱れるとされ、禁止された。
やがて歌舞伎は男だけが演じるものとなったが、今度は色子と呼ばれる男色が流行したというから始末におえない。

戦国時代〜従軍娼婦
戦国時代、特定の軍勢と行動を共にしながらときには自衛のため、戦闘員の一人として立ち働く娼婦のこと。
巴御前(源義仲の妾)や常盤御前(源義朝の妾)などは男顔負けの女性であった。
中には静御前(源義経の妾)のように、武勇よりも遊芸で名を上げた女性もいた。

▲ページトップへ

©1999-2003 Kaori Tanaka All rights reserved.