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4.風俗の歴史(戦後簡略年表)


昭和20年
(1945)
8月15日 終戦
8月23日 RAA(特殊慰安施設協)」結成
8月28日 東京大森に初のRAA施設「小町園」が開業

昭和21年
(1946)
1月 GHQ「公娼廃止に関する覚書」を発令
日本政府「公娼制度廃止に関する件依命通達」を発令
2月 日本政府「人身売買を禁ずる規則」を制定
3月 GHQ、RAA施設へのオフリミット(立入禁止)令
11月 赤線・青線地帯、特殊飲食店の誕生

昭和22年
(1947)
吉原の女性が集まり「新吉原保健組合」を設立
5月 「日本国憲法」施行

昭和23年
(1948)
7月 日本政府「風俗営業取締法(風営法)」を公布、9月施行

昭和24年
(1949)
4月 RAA解散により、闇の女・パンパン登場
東京都「売春取締条例」を発令

昭和25年
(1950)
婦人矯風会ら「公娼制度復活反対協議会」を結成
4月 吉原で25年ぶりに花魁道中が復活
5月 「婦女に売淫させた者等の処罰に関する勅令」国内法に
12月 婦人矯風会ら「売春禁止法制定促進委員会」を発足

昭和26年
(1951)
4月 東京銀座に「東京温泉」開業、トルコ風呂のはじまり

昭和29年
(1954)
婦人団体代表ら「売春禁止法期成全国婦人大会」を開催

昭和30年
(1955)
10月 日本政府、内閣に「売春問題連絡協議会」を設置

昭和31年
(1956)
1月 都内赤線女性「東京都女子従業員組合連合会」を結成
3月 全国赤線女性「全国接客女子従業員組合連盟」を結成
5月24日 日本政府「売春防止法」を公布

昭和32年
(1959)
12月 東海地区の赤線業者が全国にさきがけ廃業を宣言

昭和33年
(1958)
2月28日 吉原の赤線廃業宣言、吉原終焉
3月31日 午前0時をもって全国の赤線終焉
4月1日  「売春防止法」施行
7月 吉原に元赤線業者が経営するトルコ風呂「東山」開店

昭和34年
(1959)
2月 「風営法」改正により「風俗営業等取締法」と改称

昭和37年
(1963)
パンマ」と呼ばれるあんま売春の流行

昭和41年
(1966)
「風営法」改正によりトルコ風呂を「個室付浴場(サウナ)」として許可

昭和45年
(1970)
7月 沖縄でも売春防止法が施行

昭和52年
(1977)
警視庁、売春関係事犯の全国一斉取締で767名検挙
吉原のトルコ風呂「早乙女」を管理売春容疑で摘発
この頃、ピンクサロンブーム

昭和53年
(1978)
ノーパン喫茶誕生

昭和55年
(1980)
ラブホテルやマンションを利用したホテトル、マントルが急増
デートクラブ、ゲイバー、ビニ本、裏本など流行

昭和56年
(1981)
ノゾキ部屋、トップレスヘルスなど新手のピンク商法が蔓延

昭和57年
(1982)
愛人バンクなど素人売春流行

昭和59年
(1983)
トルコ風呂、ソープランドに改称
8月 風俗営業の規則及び業務の適正化等に関する法律(新風営法)」公布

昭和60年
(1984)
2月 風俗営業の規則及び業務の適正化等に関する法律(新風営法)」施行

昭和61年
(1985)
4月 吉原ソープランド「ラフォーレ」公安委員会の指示により廃業

昭和62年
(1986)
1月 日本初のエイズ患者が出る
ソープランド開店休業状態により、個室ヘルス流行

平成 1年
(1989)
ダイヤルQ2登場、ソープ減少、デートクラブ摘発増加

平成 2年
(1990)
3月 吉原、ソープ嬢の全裸写真のマスコミ協力を拒否
外国人女性による街娼「ジャパユキさん」激増

平成 3年
(1991)
ブルセラショップ登場

平成 4年
(1992)
外国人女性に対する売春取締に拍車

平成 5年
(1993)
主婦やOLなどによる東南アジアへの買春ツアー増加
ホテトル、テレクラの増加、ヘアヌード写真がブームに

平成 6年
(1994)
デートクラブ増加、デート嬢の大半が女子中高生

平成 7年
(1995)
カップル喫茶ブームにより増加

平成 8年
(1996)
イメージクラブSMクラブ流行
女子中高生の援助交際増加

平成 9年
(1997)
東南アジア女性のエステサロン、マッサージ店増加

平成10年
(1998)
レズバー増加、デートクラブ摘発増加
バイアグラ登場

平成11年
(1999)
4月 「児童買春、児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」制定

平成13年
(2001)
7月 「新風営法」改正によりテレクラの規制強化

平成14年
(2002)
4月1日 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」施行


RAA レクレーション・アミューズメント・アソシエーションの略。
進駐軍のための性的慰安所


RAAオフリミット令 性病の蔓延とずさんな管理のため立ち入り禁止に。
昭和24年(1949)4月、RAAは正式に解散。


赤線・青線 RAAの解散により失業した女性が街娼となった。
街娼のいる地域は「特殊飲食店」となり、売春が許容された。
その地域(特飲街)を警察の地図で赤く囲んだ事から、「赤線」と称され、その周辺の私娼街、つまりは飲食街の営業許可だけで売春を行う店が集まっている地域、いわゆる非合法売春地を赤線と区別するために地図上で青く囲んだことからこちらは「青線」と呼ばれるようになる。
昭和22年(1947)6月の全国の赤線従業婦は15万5000余人。


闇の女・パンパン RAAの閉鎖は失業する女性の増加を促し、そうした女性たちの行く末は決っていて、夜の町角で再び春を売るようになっていく。
こうした街娼の当時の呼び方。


婦人矯風会 明治19年(1886)日本キリスト教により設立。
一夫一婦制、公娼制度廃止海外売春婦の取締りなどを政府に請願。

パンマ 売春防止法施行により失業した女性などが、ホテルや旅館に表向きはアンマ(マッサージ嬢)として出向き、裏では売春を行っていた。

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